私はジョブホッパーと呼ばれる人種だ。
現在の会社は4社目で、それを恥ずかしいとも思っていないし、これまでいたどの会社にも、所属した理由も、いてよかった体験もある。
その中でも特に、新卒の会社の選択はとても良かったと思う。
2社目以降でなく、新卒でその会社を選んだことに意味があると思っていて、その点でとてもとてもよかったと、転職するたび、いろいろな人に会うたびに痛感させてもらったりしている。
導入部分が長くなったけれど、タイトルの件は、新卒の会社の執行役員が言っていた一言。
『みんなこれからの配属先に頭がいっぱいだと思うけど、最初の配属先はすごく重要であり、まったく重要ではないとも言える。それを変えるのは自分自身だ。そして、これはいろんな人に言っているのだけど、周りの誰かを幸せにしようと思ったら、まず自分が幸せにならなくてはならない。人を幸せにするというのは、そういうこと。』
もう10年以上昔のことなので、細部はだいぶ、私ナイズされてしまっている自覚はあるのだけど。
でも、たぶん当時の私は、この言葉の意味をハラオチさせられていなかった気がしていて。
その後いろいろあって、自分でも、家族でも、周りにも。
色々な経験をするなかで、その意味がようやくわかってきた気がする。
まず、自分を幸せにする。
自分がありたいようにあれるように、そのことを考える。
その先に、周りの人に分け与える気持ちや、他人の心の機微を推測できる余裕が出てくる。
自分自身に欠落している感覚、満たされない感覚がある中で、ただただ与える(それも相手が満足するレベルで)ということは、不可能なんじゃないかとすら、最近は思う。
そんなことを考えている中で、産休中の自分の焦りを思い出した。
社会から取り残されている感覚。
誰にも貢献していない感覚。
それなのに、なぜかこの子どもの命だけは守らなくてはならないし、一つのミスも許されず、さらにその責任がすべて自分にあるのだとされるような感覚。(子どもは夫婦の子どもなのに)
その私を支えていたものはなにか。
私にとっては、Twitterと、このブログだった。
今、日本中で、いや世界中できっと、当時の私と同じような気持ちを持っている人がいるのだと思う。
専業主婦を強いられている私の妹もそう。わからないけど、少し離れた場所にいる私の後輩ちゃん(もう後輩というかママ友だな)も、そうなのかもしれない。
この頃、ずっと彼女たちのことを考えている。復職してからずっと。
私だけ楽をしてごめんなさい、というような気持ちで。
この気持ちはきっと、育休を取ったものにしかわからない。それも、数か月以上の。
もともと仕事を愛していて、そのうえで育児のために仕事を休んでいる者にしかわかりえない。
だから私には、彼女たちの気持ちが痛いほどわかる、苦しいほど。
あとでnoteにまとめようと思っているんだけど(全然できてないんだけど)、そろそろ本気で、次のステップに行動を移す時期が来たのかなと思っている。
こういった痛みを、自分自身のものとして、また大事な家族や友人のものとして経験できる女性である私だからこそできることがある。
たいしたことはできなくて、別にITリテラシーもなくて、特別不幸なわけではないけど恵まれすぎている環境でもない私だからこその視野がある。
今やらなくていつやるんだ。
今年が勝負の年だ、と、思ったことを、自分のためにも文字に残しておく。