育児を始めてから理解したことの一つに、『私はこんなに我慢しているのに!』は、美徳でもなんでもないって説がある。
なぜか。
我慢しているのに!と言う時、のに!の後に続くのは、他を非難する言葉であることが多い。
・私は寝てないのに、あなたは飲み会楽しめていいご身分ですこと!
・私はここ半年あったかいご飯を食べられてないのに、あなたはいつもマイペースに食事ができてずるい!
とか。
「私は◯◯なのに、あなたは××。」
このフォーマット。
なるべく言わないようにしたいけど、なんだかんだでこの思考に基づく発言、よくしてしまう。
主に夫に対して。
でも…。
たしかにこれは、発してしまう側の甘えからくるものであるかもしれない。
だけど理由を辿っていくと、我慢を美徳とする文化に課題がありそうに思える。
我慢を美徳とする文化は、教育や育児、会社組織や介護など、課題を抱えるさまざまな領域で悪さをする。
・水を飲んだらいけない部活動
・定時で帰宅しにくい会社組織
・残業代をつけにくい雰囲気
・シッターを使いにくい文化
・市販のベビーフード<手作り離乳食
・無痛分娩<自然分娩?
例が多すぎて困る。
例えば私は帝王切開だったので、最後に書いた自然分娩を良しとする(一部の人の持つ)考えに、産後は辛い思いをしていた。
『よくがんばったんだけどね…』
と助産師さんに言われたときは、産後のホルモンバランスがそうさせるのか、この産み方にも育児にもこだわりなしな私が、一重まぶたになるほど泣いたもんでした。
それはさておき。
この文章を同僚に読ませたら、たぶんみんな『わかるわかる!』とか言うと思う。
だけどね、全然わかってないよと言いたい。
我慢を美徳とする文化は、『苦しいけど、本質的ではないけど、みんなで頑張って乗り越えよう!』みたいな話につながる。
みんなで頑張ることは否定しないし、むしろ好きだけど、それとマニュアル化とか機械化から逃げるのは別の話。
現職の会社は、その↑考えがない。
なので例えば、マニュアルを元に年収600万の社員も500万の社員も同列に、誰にでもできる事務作業をしている。
(正直500万と600万の間にスキル的な差があるかというと疑問なので、そこはどうでもいいのかもしれないが)
とにかく、それも同じ話だよ、ってことで。
事務作業で煩雑に時間を過ごしたことを棚に上げて、なんとなく目立つ仕事をしている人を妬むのとか、まさに冒頭の『私はこんなに…!』の心理だな、と。
誰もあなたに我慢を強いてるわけではない。(あなたというか自分も場合もあるが)
もちろん、私がやらなきゃ!というシーンはある、あるけど、そこで主張せずに我慢してやってしまっているのは自分だ。
だから、今後の自分のために書いておく。
その我慢は誰に強制されたものでもないし、不満ならば戦うべき。
戦う努力から逃げて、結果我慢に落ち着いている自分の努力(と呼ぶのかわからないが)を棚にあげるのはフェアではないぞ、と。
世の中には、戦えない状況の人もいる。
だからこそ、今、戦うことができる私は、そこから逃げてはいけない。という自戒を込めて。