ここ最近体調の良くなかった祖父が、いよいよ本格的に具合がよくないとのこと。
なにか具体的な病気に闘病中なわけではなく、なんと言えばいいのか、一般的には老衰というやつなのか。そんな感じらしいです。
母はすっかり元気をなくしているそう。
実の親ですからね。
それに母は、もともと母親よりも父親をうんと頼りにしていた人で。
昭和の父親は、「家長」という役割が強いので当たり前のことかもしれませんが。
という話を妹から聞いた今日、急に思い出したことが。
私は小さい頃、寝られないことが多い子どもでした。
子どもの頃は寝られないと、一階にある祖父母の寝室(同居だったので)によくお邪魔しては、同じ布団で眠っていました。
子どもながらに、働いている両親に迷惑をかけたくなかったのと、気分を変えたかったんだろうな。
もしかしたら、姉であるという立場もあり、甘えたい気持ちもあったのかもしれない。
中学生くらいになると、今度は色々な不安で寝られないことがありました。
というか入試勉強で。
寝ようと思って布団に入り、窓の外の光(といっても田舎なので実態は街灯なのですが)を見て、私は寝ていていいのか?と思ったりしてました。で、不安になったり。
だから中学は、授業中ほーんとによく寝ていました。本末転倒なんですが、本当に。よく進学校に入学できたな、と今になると思います。
というわけで、時期により多少理由に違いはあるものの、一貫して眠れなくなるきっかけが一つありました。
それが、「死」について考える時。
・私は死んだらどうなるんだろう
・死ぬってどれほどの苦しみなんだろう
これは、なんとなく、折り合いがつけやすいテーマです。
仕方ない、と結論づけるしかないから。
みんな立ち向かうことだし、仕方ない。
だけど、子どもの頃から不安に思っていたことがありました。
『おじいちゃんおばあちゃんが死んじゃったらどうしよう。お父さんお母さんが打ちのめされている時、私は役に立てるんだろうか。』と、いうこと。
文字にすると偽善者みたい。
でも、真剣に悩んでいました。
大好きで、頼りになる両親。
その両親がどうしようもなく悲しみに打ちひしがれるんだろうな、と。
そのとき私に、一体何ができるのか、そんな両親を見ていられるのか、妹はどうなんだろう、とか。
あの時あれだけ悩んだ未来が、いま現実のものになりつつあります。
大好きだった祖父。
それも悲しいけど、寂しいけど、でもどちらかというとまだ想像できていないという方が正しい。
一方、母。
母の悲しみは実際に今そこにすでにあるもので、なのに私は何もできません。
あれだけ、それこそ30年も前からシュミレーションしてきたというのに。
一体、私に何ができるだろう。