結婚式前後、嫌だったことがいくつかあって。
出産も、これに近い部分はあるなと思っていました。
(ただし私のように子ども嫌いからの突然の妊娠、というパターンもあるので、出産の方がまだバリエーションがあるな)
話は戻り、結婚前後の嫌だったこと。
①ゼクシィやサイトで見るモデルさんが全員、ほぼ100パーセントの確率で細くてきれいすぎること
②今が一番しあわせだね、と言われること
③オリジナリティを出すべき、つけたい、みたいな、刷り込みによるそういった考え方(に知らず知らず影響される自分たち)
なんで嫌だったのかな、と考えていて、わかった。
だってこれ、すべて間違ってると思うから。
例えばモデルさんがドレスを着るイメージが必要なのはわかるとして、それが欧米系人種のモデルしかいないのは違和感だし、そもそも大半が純日本人な特徴を持った人が読んでいるであろう雑誌だし。
アフリカンやスパニッシュ系、アジア系もいればまだ違うんだけどな。
あとは、アシュリーグラハムみたいなプラスサイズモデル。
いや、わかるんですが。
その流れが行きすぎたのがアメリカだし、そんなに全方位に配慮しすぎていたらやってられない、というのもわかるんですが。
私が言いたいのは平等とかそんな話ではなくて、美や幸せの基準が画一的すぎるってことかな。
同じ意味で、②も③も嫌でした。
まず②。
これは、年齢高めの人や親世代に多かったかな。
たぶんこれを言った人たちは老害予備軍だと思う。
だって、人生のピークが結婚式なわけがない。
だってそうだったら、一体なんのために結婚するのか?生きていくのか?わからないと思う。
この考え方の裏には、若いことこそいいこと、みたいな考えもありそう。
女は30過ぎたら終わり、と言っていたたぶん素人童貞の元上司がいたけど、彼はきっとそんな考え方だろうな。
私個人に関して言えば、歳をとるごとにやれることが増えて、経験値が増えて、対処法なんかも学んで、どんどん自由になっていってます。
家族ができたり子どもができたり、それを人によっては自分を縛るものとして捉える向きもあるようだけど。
大事なものがある=守りに入る=不自由、ではないのだと、子どもを持って私が学んだことの一つ。
大事なものがあるから、制約があるからこそ、根本的に、ダイナミックに考え方を変えるきっかけになる。
今の私はそんな時期。
せっかくだから、変化によって失われたものを数えるのではなく、それによってダイナミックに進化するきっかけにしたい。
いつでもやめられる自分になるのも、その一つ。
どこでも働ける自分になりたいのもそう。
この記事は朝からスマホで書き始めて、今は保育園へ向かう帰り道だけど。
つまりスピード感が、全く自分の求めるそれではないのだけど。
一つづつ一つづつ、着実に、楽しんでいこうと思う。
いやほんと、ブログって楽しいな。