保育園のお迎えを毎日していて思うのだけど、お迎えの厳格なシステムには、ある大前提がある気がする。
それが、
・保育は辛いものである
・親は育児をサボるものである
・なので厳格に管理しなくてはならない
というもの。
※当たり前ですが個人的に感じている、という意味です。
よく聞くのは、お迎えの時にスーパーのレジ袋を下げていくべきではない、というもの。
なぜか。
お迎えの前に寄り道をしている、ということの証明になってしまうから。
一体どれだけ育児をハードモードにしたいんだろう。
私は、できる限り一度家に寄るようにしています。
帰宅、手洗い、時間が許せばトイレに行き、離乳食を準備。パンツだけ動きやすいレギパンに履き替えた後にお迎え、というのが基本スタイル。
家にいる時間は5分程度。
せわしないけど、お迎え後にすぐ離乳食が与えられる、という環境にしておきたく。これができているのとそうでないのでは、雲泥の差があるから。
だけどきっと、お迎えをしている人は恐らく共感してくれると思うのだけど、保育園のお迎えは『一分一秒早く来るべき』みたいな圧力があります。
私は明確に言われたことはないし、そもそも入園の段階で提出している勤務証明上でも、お迎えがギリギリの時間になることは証明済み。なので考え過ぎないようにはしているのですが。
そんな私でも
『わ、今日は早く来てくれたね!』
『今日は最後じゃなかったね!』
という、息子への(恐らく悪意のない)声かけに心が痛むこと多数。
で、冒頭の話に戻ります。
例えば勤務証明に記載する、会社からの通勤時間や休日情報。それは必要なものだとしても、職場からまっすぐ迎えに来るべき、シッターではないのだから親が育児をサボるためのものではない、みたいな考えが根底にある気がしてなりません。
で、上記の考え方の裏には、なんとなくですが【育児や保育は辛い、だから自分の好きで産んだ子どもに対して、親は全力で向き合うべき】という理念が流れているように思えてなりません。
この、『それを選んだのは自分なのだから、あなたの責任』という自己責任論。
自己責任であることは同意です。
だけど、【自己責任なのだから文句を言うな】には何か違和感を感じます。わたしだけなのかな?
他責の場合には何を言ってもよい。
自責の場合は我慢しろ。
うーん、違和感。
我慢は十分している、だけど弱音を少し言いたい、みたいなことってあるんじゃないかな。
最近のインフルエンサーや芸能人の熱愛に対するイチャモンとか(剛力彩芽さんがインスタの過去投稿を削除しなくてはならない心理になったりとか)、なんかみんな、悪い意味でおせっかいだよなと。
おせっかいというと言葉が良すぎるな。やっかみ?
というわけで、会社に着いてしまいました。
とりあえず、育児は楽しいし、幸せです。
だけど、育児期間中は全てを犠牲にしろ!みたいなのにはやっぱりモヤるな。
引き続き考えていきたいと思います。