山口達也メンバーの件が今世間では最もホットなニュースになっている。
(ちなみにもはや常識らしいけど、○○メンバーという表現はジャニーズ事務所のお家芸であるらしい)
ニュースは消費されていくものだな、とつくづく思う。国会のくだらないやり取り、というかその報道の仕方も相当にバカげていたけど、それよりもアイドルのニュースはTOP中のトップニュースになってしまうから。
それはさておき、このニュースとも関連して、最近よく思っていること。
犯罪者とそうでない人の差は、その間にある境界線はほぼないようなものだということ。性善説みたいな話に近いのかもしれない。つまり、生まれ持っての極悪人はあまりいないのではないかな、と思うという話。
だからといって、凶悪犯や性犯罪者や、犯罪者を赦すということではない。
ないんだけど、ここで乳児に蜂蜜の話が出てくる。
少し前に、乳児に蜂蜜を与えてしまって子どもを失ったという悲しい事件があった。
それは単純な過失で、だけど保護者としてはあってはならないもので。当時の私は(すでに妊娠していた)『乳児にハチミツがダメなんて常識、それを知らない母親なんてありえない』くらいに思っていた。
だけど、これってなんだろう、勝手な理論だったかなと最近思っている。
自分の当たり前を押し付けすぎなのかな。
例えば母乳神話や自然分娩を最上とする説など、妊娠出産育児には、さまざまな理論やお作法がある。
そしてこれは、その理論信奉者からすると、そうではないやり方が『ありえない』となるケースが多い。こんな小さいのに保育園に入れて働くなんてありえない、とか、お母さんの努力で出ない母乳も出るようになるから、とか。そういった類のもの。
これに近いものを感じる。
山口メンバーの方はわからないけど、蜂蜜の方はきっと悪意はなかったろうと思う。
私は育児知識には自信がないので、離乳食の準備などでは必ず少し迷ったら検索して調べるようにしている。でも、もし全く疑いもしなかったら(ハチミツは大丈夫なのかなと)検索すらすることはないのだろう。
で、ということは、私もものすごく簡単に、かつて自分が「ありえない」と批判していた母親の側になる可能性があるということだ。
山口メンバーの件にしたって、近いことが言える。
きっと今セクハラパワハラ問題で焦っている男性陣は多いと思う。
私にも、いくつか心当たりがある。だからといって私は告白する気にはなれないし、やはりこれを口に出すのは不快の追体験なので気持ちが悪い。
で、そういった人が日本中にものすごい数いると思うのだけど。そんな彼らは、ひとごとではないはずだ。
もちろん悪意、というかよくないことだとわかりつつしていた人もいるだろう。
だけど、おふざけの延長のつもりだったり、ノリだったり、そういうものでやってきてしまった人たちだってかなりの数になるだろう。
そんな彼らと山口メンバーの間に、いったいどれほどの差があるのかと思うのだ。大半の人は無名の名もない、デリカシーのないおじさんだったとして。だから万が一に告発されても傷が小さいとしてもだ。それでも家族のある人間が書類送検されたら、やはり平穏な日常というのは簡単に崩れるだろう。ご近所や周りの人間関係が、大半の人間にはあるわけで。
犯罪者を赦そう、とかいうものではもちろんないのだけど。
でもなんだろう、自分がそちらの側に行かない保証というのは全くないわけで。
この報道の陰に心を痛める多くの人たち、被害者の方はもちろんだけど、加害者側の身内や、元親族もそう。
そういった方々は、自分のコントロールできないところでの他人の犯罪なわけで。そうであっても、人はそういう人の関係者として見るし、それでも自分の人生は今後も続いていくわけで。
被害者も、被害者家族ももちろん心配。でも、加害者家族というのも、被害者の側面があるなと、思うここ最近なのでした。
それにしてもマスコミの報道って、そのやり方って、なんとかならないものなのかな。。