ホテルステイで頭を冷やしたことについてはこちらに詳しくあります。
で、その際夜に夫とやり取りした内容から、考えたことを小出しに整理していこうと思っています。
彼は喧嘩のような雰囲気というのか、平常時ではない状態が嫌いなので、改めてこれについて話をするわけにもいかないので。
それにしても。
本当にインターネットがあってよかったなと、産後しみじみ思いますね。
ブログもそうだし、ツイッターをはじめとするSNSも、どれだけ育休中の私を支えてくれたかわかりません。
本題。
彼がいくつか書いてきた中で違和感を感じたフレーズ。
『我慢や世話することを、「これくらいでいいかな?」で終わらせていた』
ここに意識の違いが明確に表れているなと。
たぶん、多くの育児主担当者はそうだと思うのですが、「私の我慢はこれくらいでいいかな?」なんて言って終わりにするようなシーンってまずお目にかかれないはずなんですよね。
いい加減に終わりにしてほしい、と思っても終わらない寝ぐずり。
いい加減に黙ってほしい、と思っても公共の場で大きい声を出す息子。
そういったものたちは、こちらの終わりたいタイミングで終わらせられるものではないはずなんだけどな、と思ってしまって。
そして、育児や世話をすることが苦痛、という前提にも驚きだし、「これくらいでいいかな?」は、そろそろ終わりたいというのもそうだけど、私の目を気にしているものでもあって。二人の子どもじゃないんでしたっけ?とも思ってしまって。
うーん、なんだか腑に落ちない。
なんで私のために育児をするのか。
二人の子どもであることはもちろんだし、そもそもは、彼がどうしても欲しくて欲しくてたまらなかったのに。(子どもありの生活のイメトレはしていなかったの?)
でも、これは深掘りしませんでした。
こんな小さな違和感は、言葉尻の話になりがちだし、ここを解消することよりも、息子を含めた今後の3人の生活をよりよくするための建設的な相談にしないと。
なので、これは私が個人的に今後も考えていきたい観点。
ホルモンの関係なのか、なんなのか?
男性は、妻のために、妻からの視線を気にして育児をしているの?
そもそも、育児は「やりたくない家事の1つ」のようなもの?
だとすれば、なぜ簡単に『子どもは野球チーム作れるくらい』とかそうでなくても『子ども欲しい』となぜ気軽に言えるの?
謎は深まるばかりです。。