我が家は2人姉妹だった。
昭和生まれなので(後期だけど!)、当然の如く家には7段飾りがあった。
年に一度シーズンになると出されるそれは、女の子な私にとって、リカちゃん人形やシルバニアファミリーのボス版、といった立ち位置だった。
やたら多い小物や装飾品は、飾るのも楽しかったけれど、だからといって例えばクリスマスや誕生日ほどにワクワクした記憶はない。
思い返すと、大人の方が楽しそうにしていたような記憶がある。
意地の悪い言い方をすると、7段飾りは恩着せがましいプレゼントと言えるのかもしれない。
妙に記憶に残っていること。
立派なお雛様だ、とか?
こんな立派な7段飾りはすごい、とか?
そういった類のことを言われていたような、そんなことばかり覚えているのだから、私もへそ曲がりだ。
だけど。
大人になってわかったのだけど、たぶんそれは一般家庭で育った子どもは、おそらく結構な確率で同じことを言われている。
『うちのお雛様が立派で』みたいなことを、身近で数人から聞かされたからだ。
(そしてそれを言う人たちはいずれも一般家庭育ち感が強い)
いや、当時田舎で育った子は、みんな7段飾りだったよ。みたいな。
だけどきっと、彼らも念仏のように言われて育ったのだろう。
こんないいお雛様があっていいね、とか。
立派だね、とか。
と、これが何かに似ているなと思っていたのだけど、そうだ。
これは、成人式の晴れ着に近いのだなと。
成人式は、式に周到なオシャレをして出掛けるのが楽しかった。
そう、晴れ着である必要は全くなかった。
なんなら二十歳そこそこなんて当然若いわけで、ドレス文化ならもっともっと楽しいだろうと思う。
海外のプロムみたいな。
だけど、親としてはそうはいかない。
私の親もそうだったし、田舎の親なんて基本みんなそうだったはずだ。
『娘の晴れ姿』は一大イベントだし、そこで晴れ着を着させてやるのは親の義務みたいなもんだ。
私はそんなこと全く思っていないが、きっと親たちからすると、立派な晴れ着を着せてやれないのは親の甲斐性の問題になるのだろう。
7段飾りだって、もっと簡素でかわいらしいもので全然よかったし、成人式だってワンピースでもよかった(ただしワンピースだってピンキリだけど…)。
端午の節句を前に、兜探しをはじめた私。
興味の出ない兜選びに、ついついそんなひねくれたことを考えてしまうひな祭りでした。
今週のお題「ひな祭り」