きっかけは、Voicyでけんすうさんのチャンネル?を聴いたときのこと。
好きなものについて話そうと思います
→僕、ほうれん草が好きなんですが…
これってなかなかできないぞ、と思ったのがはじまり。
というのも。
私は以前から『化粧品が好きなので御社を志望しました(資生堂)』みたいな人間を信用していません。
というか、そんな人の「好き」を信頼していない。
誰もが一般的に好むことをして、「私の好きなもの」とすることに違和感を感じていたから。
まぁ、就職活動時の志望動機なんてそもそもって話はあるのですが。
私は「好き」ということに対して、なにか過大なコミットを求めていた気がする。
自分にも他人にも。
好きというからには、そのものの歴史や知識をたくさん知っていなくてはならない。
好きというからには、そのジャンルのマイナーなものも(マイナーなものこそ?)好きであるべき。
つまり好きというからには、誰しもが好きなものではないものを好きであるべき。
のような感じ。
だけど、人間って、これだけいるわけで。
そして別に、「好き」を宣言するのに資格がいるわけでもなくて。
なのに、なにを勝手に「好き」のハードルを上げているんだろう。
というのを、このブログを読んでさらに強く思ったわけで。
https://note.mu/sac_ring/n/n5d2c301ac32c
思わず反応してしまったツイートがこちら笑
https://twitter.com/premommy/status/967367994597769216
※いつもよく見てくださってるフォロワーさんが優しいコメントをくださった。
わかったこと。
好きを宣言できないのは、私たちが重視すべきと教え込まれてきた、謙遜心のせいもきっとあるのだろう。
そんな私のレベルで好きなんて言えるほどのもんじゃないんですが…。とか、
メジャーですが…とか。
私はグミが好きだ。
ブログも好きだし、活字が好き。
今は息子のことも好きだし、仕事はもっと好き。
靴も化粧品も、お菓子作りも好き。
自分のことも好きだし大事!
好きを宣言する、それくらいの勇気をまずは出したい。
人と比較してどう、ではない。
私は、これが好きです!
私は、こうなりたいです!
恥をかくことを恐れていたら、あるいは、自分が完璧になれるのを待っていたら。
いつまで経っても、まだあと少しの距離を縮めることができない。
思う理想までの距離を。
私はブログ遊びが好きだ!(今は遊びでしかない)
文字が好き!文章が好き!読むのも書くのも。
だから、働き方を変えていきたい!
と思いながら、4月からは保育園に預けてそれなりに気に入っている、わけでもない会社に一旦戻るのです。
なんとまぁ。
だけど、今はそんな自分も好きだったりするのでした。