親族に悪いことが起こった。
それがきっかけで、自分の様々な思考を深く深く掘り下げるようになった。
きっと仕事を休んでいるせいもあるのだろう、いくらでも考えることができてしまうから。
幸せとは、不幸とは?
今の私は不幸ではないはず、ややこしいだけ。とか。
そうやって、幸せや不幸せについて、削ぎ落として考えることをした数年だった。
例えばクリスマス。
独身時代からそれを知っていた人もいるかもしれないけど、それはきっと少数派じゃないかなと思う。
過ごす人がいないとか、することがないとか?
独身の頃はそんなことに困ったこともなかった。
恋人がいなくても友達がいるし、そもそも学生時代ならバイトが好きすぎたので、季節イベントのタイミングでバイトしている自分を悲しいなんて思ったことがない。
ただ、20代後半は、少し面倒に思っていたこともある。
それは、お金も時間も(作れば)ある20代後半になり、【何か素敵なことをして過ごさなければならない】という強迫観念のようなもの。
今だと、インスタ映えする何かをしなくてはならない、といった感じか。
高級なレストランに行くべき?
それとも逆張りで、手作り感満載のディナーを彼氏に用意してもらうべき?
自分が作る?
実家の家族と親子水入らず?
といった具合に。
そういったものは意外と多くて、実は季節イベントに限らず、生活のあらゆるものがそうなのかもしれない。
家は持ち家?
マンション?戸建て?
都市に住む?それとも郊外?
そして、その仲間の一つが、30代中盤になるとやってくる。
子供は?
(無事子供ができると、ベビーカーは?子供服は?育児用品は?となる)
今回、初めて子連れで帰省してみた。
それでわかった。
子供がいる帰省はとても楽。
会話もなにも子供に逃げられる。
そしてなんとなく時間が過ぎる。
そうやって過ごしていてわかったこと。
みんな、本当は何が欲しいんだろう?
それが本当にはわかっていないんじゃないかな。
年明けにはセールがある。
セールでは何かを買わなくてはならない。
セールで買わないと損した気がする。
でも、そういう人は、ほんとうに必要なものがわからない。だからネットでセールでも行われれば、もったいなさからまた買ってしまう。
同じことが、あらゆることに言えるのではないだろうか。
旅行は楽しい、だから休みがあれば旅行に行きたい。
と言いつつも、旅先や都内でよく見かけるのが、不機嫌そうな観光客。
あまり多くはない自由に使えるお金の中でやりくりして旅行する。
知らない土地で想定外のことや、期待外れのなにかにがっかりする。
だけどもお金を使ったからには、なんとかして楽しまなくてはいけない気がする。
これも強迫観念なんだろう。
そう、きっと私たちは、幸せであらねばならないという強迫観念に囚われすぎているんだ。