facebookで見かけた、下記記事。
「夕飯何食べたい?」が持つ理不尽さと、ベストな返答の考察 | 自分の心を殺してはいけない
私はこういった記事を読むと心がざわついてしまうので、読まずにいようと考えていた。
がしかし、ツイッターでもトレンド入りしており、各所で見かけすぎたのでついに読んでみた。
世間の反応はこちら
主婦(特に専業主婦)の孤独たるやすさまじい
自分自身産休に入り、専業主婦の仲間入りをしてわかったことだが、専業主婦の孤独感は想像を絶する。
※もちろん向き不向きの問題もあるかもしれないが。
どんな人にも、なんとなく不調な日があると思う。
例えば会社員であれば、調子が乗らず、今日完成させたいと考えていた資料を翌日中に仕上げよう、ということもあるだろう。
あるいは、自分の業務に直結しない他部署からの面倒な問い合わせに対し、一日二日(あるいはもっと)寝かせてしまうというようなことも。
ところが。
専業主婦になると、その罪が異常なまでに大きく感じるのだ。
『一日中家にいて何してたの?』と、きっと思われているだろう。
(あるいは直接的に言われていたり。悪意の有無によらず。)
という思いが、何も言われずとも勝手に自分自身を追い込むこととなる。
そして、追い込まれた者がそうであるように、他者に寛容になれず、一番大事な家族に攻撃的になってしまう。
攻撃された方の家族は理由がわからない。
という負のループが生まれる。
共働きだとどう違う?
共働きでも家事が必要なことは変わらないし、家事負担割合も妻の方が多いだろう。
だが、ここで心理的に大きな差を生むのが、『私も働いてますので大目に見ていただけますよね』という家事担当者側の心理的余裕だ。
少なくとも私はそうだった。
※我が家の場合は夫婦間の年収差がほぼないのでこう言えるのかもしれない。年収格差があるとまた問題は異なってくるように思える。
本来折半が当たり前の家事を、私はやっています、という心の余裕。
ないしは大義名分のようなもの。
そしてもし家でものすごくつまらない時間を過ごしていたとしても、翌朝になればまた会社に行き一日の大半を別のことで頭をいっぱいにして過ごすことができる。
家事は難しい、それに重要な仕事。なのに承認願望が満たされることは…
やってみてわかったが、家事というのはキリがない。
お風呂のカビ取りもしたいし、キッチンの貯蔵食品の整理もしたい。押入れだってきちんと整理したいし、床のワックスがはげかけているのも気になる。
でも、これは働いていれば目をつぶれてしまう範囲の問題なのだ。
そして、その問題を一日ひとつづつクリアしたとして、恐らく褒められることはないだろう。
褒められる=承認されること
とした場合、専業主婦にはこの承認願望が満たされる機会が極端に少ない。
会社員の場合を考えてみてほしい。
よほど人間味のない職場か、成果を出さない場合を除いて、承認願望が満たされる機会は想像よりずっと多く存在しているのではないだろうか。
互いに敬意を持つ、そのためのわかりやすい道具が仕事
専業主婦は偉大な仕事だ。
それを否定する気は全くないし、望んでなっているならそれは自由だと思う。
ただ、この一億総活躍社会と叫ばれている日本社会にあっても、専業主婦を強いられている人が相当数いるのだ。
自分の周りを見渡しても数人簡単に発見できる、そんなレベルで。
例えばそんな彼女たちが、もう一度結婚前の仕事を実現できたら。
社会とのつながりを取り戻し(TVとネットしか情報源がないような生活でなく)、承認願望を時折満たすことができたら。
きっと少し、夫だって幸せになれるのに。
お互いを尊敬しあえる関係に近づけるのに。
そんなことを思いながら、本当に大事な身の回りの苦しむ彼女たちを救えないままの自分がふがいなくてならない。
多くの夫が、妻が変わるためには、それが一般レベルにまで浸透するには、おそらくもっともっと多くの成功事例が必要なんだろう。社会を巻き込むような。