東京育児生活

妊娠、出産、育児とそれに関わる働き方について。備忘録的に。

今日、わたしはお皿を洗わなかった。が刺さりすぎた去年のこと

タイトルは、Today というニュージーランドの詩です。

私がこれを知ったのは、産休中に始めたツイッターがきっかけ。
情報感度の低い私にとって、ツイッターからどれだけの育児情報を得てきたかわかりません。
 
だから私も、きっと日本にたくさんいる去年の私みたいな人に、なにか役立ちたい。
その思いが、このごろ日に日に強まっています。
だから実は独立を少しづつ考えているんだけど、これはまた後の機会に。
 
それはさておき。
冒頭の詩、英語と日本語訳はこちらにありますが、以下に日本語訳を引用しました。
 
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『今日』 
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今日、わたしはお皿を洗わなかった
ベッドはぐちゃぐちゃ
浸けといたおむつは だんだんくさくなってきた
きのうこぼした食べかすが 床の上からわたしを見ている
窓ガラスはよごれすぎてアートみたい
雨が降るまでこのままだとおもう
 
人に見られたら なんていわれるか
ひどいねえとか、だらしないとか
今日一日、何をしてたの?とか
 
わたしは、この子が眠るまで、おっぱいをやっていた
わたしは、この子が泣きやむまで、ずっとだっこしていた
わたしは、この子とかくれんぼした
わたしは、この子のためにおもちゃを鳴らした、それはきゅうっと鳴った
わたしは、ぶらんこをゆすり、歌をうたった
わたしは、この子に、していいこととわるいことを、教えた
 
ほんとにいったい一日何をしていたのかな
 
たいしたことはしなかったね、たぶん、それはほんと
でもこう考えれば、いいんじゃない?
 
今日一日、わたしは
澄んだ目をした、髪のふわふわな、この子のために
すごく大切なことをしていたんだって
 
そしてもし、そっちのほうがほんとなら、
わたしはちゃーんとやったわけだ
(訳:伊藤比呂美)  
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育休中で不安で、子どものかわいさがよくわからなくて、だけど人からは幸せでしょう、と言われて。
去年の今ごろ、私は漠然とした悲しみに包まれていた気がします。
 
ブログを見ると、そうでもなかったりするんだけど。笑
誰に言うわけではないブログであっても、やっぱり弱音を吐きたくなかったんだよな。
 
って今なら素直に言える。
 
たとえば、
私は育休中はfacebookから意識的に遠ざかっていた。
充実している友人を見たくなかったから。
社会生活から取り残される自分を、認識したくなかったから。
 
基本的に悩みの少ない育休生活をしていた私ですら、社会や仕事から離れる不安で平静でいられなかった。
 
だから、具体的な悩みに直面している人の苦しみはいかほどかと思う。
しかもきっと、こと育児に関しては、育児メイン担当とその他の家族とでは、危機意識や切迫度が全然違う。
それが余計に苦しい。(私なら)
 
早く癒し部屋を作りたい。
老若男女問わず、だけど信頼できる私の好きな人だけが使える、苦しい時の一時避難場所。
 
もう少しもう少し、と言いながら、一番必要な時期を逃さないように…。
 
動かなきゃ。