30代中盤。妊娠出産育児と新生活

妊娠、出産、育児とそれに関わる働き方について。備忘録的に。

自分をアップデートしないことの危険性

YES,NOを選択していく心理テストみたいなもの、あれなんていう名前なのだろう。

名前は知らないけど、そういった心理テスト、子供のころに(人によってはもっと大人になっても)やったことあるかなと思います、懐かしい。


そこで出てきた質問で、なぜだか印象に残っているもの。

『変わったね、と言われるよりも変わらないね、と言われる方が嬉しい』

私はこれ、なんとなく同窓会をイメージして回答していたので、もちろんYES!と回答していました、迷いなく。

(イメージ的には同窓会で久しぶりに再会する男友達に変わらない良さを認めてもらっている感じ。都合よすぎ…?)


その回答自体は今でも変わらないのですが、最近すこしそれについて考えることがありました。


それは、『人って、アップデートしていかないとヤバくない?』ってこと。 

つまり変わることは悪いことではなくて自然なことで、というか、本当に全く変わらないとしたらそちらの方が危ないんでは?ということ。


というのも…。

何度も何度も登場させて恐縮なのですが、妹について毎日考えています。

繰り返しですが、私は妹が大好きですし、自分よりも常に幸せでいてほしい唯一の人です。


なんだけど、彼女は幸せになるための意欲に乏しいと思っていて。

よく言えば自然体、悪く言えば漫然と生きているな、と感じることが多くて。

つまり、都度都度起こったことに対応していく感じ。

こうなろう、とか、こうなりたい、とか、こうしよう、とかではなく。


そんな彼女の口癖は、『私はそういうタイプじゃないから』。

例えば、こんな感じ。

私:こういうサイトがあるよー

妹:ふーん、でも私はそういうのやらないからいいや。

みたいな。


だけど、それって別に私もなんですよね。

というか、どこの時点の「自分」を「自分」として規定するかなのかな、って気もしていて。


たしかに、中高生の頃の自分だったらやらないってこと、多いです。

当たり前だ。

中高生の頃はスマホなんてないし、SNSだって普及してなかったし、アプリももちろん。


で、それ言い出したらやばくない?と思って。

人生100年時代になろうとしているのに、10代の自分を自分と規定してしまうのってまずくないか?

いやどう考えてもまずいだろう。


でもでも、思春期の自分を「自分像」と期待してしまってる大人、実は結構いると思うんです。

無礼なことを言うとそれは、お勉強が嫌いな人に多くみられる傾向な気がします。


そこにはたぶん、こんな流れができている気がする。

学習することが嫌い→情報を仕入れることが嫌い(面倒とか?)→自分の知る知識の中で人生を進めていく→狭い知識が広がることも深まることもない→アップデートされないまま年齢を重ねる


これって、やっぱり危険だ。

だけど考えれば考えるほど、地元の友達、それもお勉強が苦手で学ばないことを選んだ友達はこの傾向が強いです。

いい歳して中学時代の上下関係を引っ張ってつるんでいるとかね、典型的な。


誓って言いますが、私は妹も含め、彼らのことは大好きです。

そして、自分の方が優れているとも思っていません。


ただ、アップデートしない自分を以ってして、アップデートしていく人をどうにか言うのは良くないと思う。

そして、アップデートしないのは他でもない自分自身の意思によるものなのに、現在の自分の境遇に不満を言うのも違うと思う。


だけど現実は、そのどちらも、彼らはよくやってしまう。

だから、アップデートする側にいる私には、彼らが発する遠慮のない一言がいつまでも心に残ってしまったり、する。


妹は、中学から聞いているミュージシャンが基本変わっていない。

好きなアパレルブランドも変わっていない。

メイクも、メイクを始めた頃から変わっていない。

好きな食べ物も、飲むお酒も。


彼女はいつか、離婚することがあるかもしれない。

それが若い今とは限らず、もっともっと歳をとってからということもあるだろう。

もしそうなった時、彼女は新たに恋愛をすることができるだろうか?


私は難しいと思う。

アップデートしないということは、変化を受け入れ、それに合わせてチューニングする作業をしないことだ。

だからきっと、ライフステージやスタイルの変化なんてわかりきったことも、発生してから場当たり的に対処していくのだろうと思う。


いい歳をしてそれは、どうなのだろう。

対処できるものなのだろうか。

自分を不幸がって、内に内に入ってしまうのではないだろうか、という気がしてならない。不安でしかない。


諦めるしかないのか。

結局どんなに愛情からくるものだとしても、言われて嫌なことを言った日には、また拒絶されることがわかりきっているのだから。


私にできることはせいぜい、助けを求められた時にいつでもサポートできる存在であろうと、その努力をしいくことくらいだろうか。