30代中盤。妊娠出産育児と新生活

妊娠、出産、育児とそれに関わる働き方について。備忘録的に。

たくさんのものを持ちながら生きる

少し前のこと。

 

身近な人を亡くした友人と会った。

連絡をもらい、葬儀には出席できそうになかったので(彼女もそれを望んでいるようには思えなかったこともあり)香典を現金書留で送った。

 

そんなやり取りもあり、後日改めて会いましょうと。

乳児がいるので、我が家に遊びに来てもらいゆっくり話すことに。

 

以前少し記事にも書いているけれど、私もここ最近親族で不幸なことがあった。

けっこうな不幸なので、それに関するどの部分を不幸と呼べばいいのかわからない。

あ、私は大丈夫なのですが。

 

とにかく。

彼女は私に、身近な人が入院していることを話したことはあったものの、それ以外のことを教えてくれていなかった。

なので私はてっきり、一般的な?軽い?病気(盲腸とか?)で短期入院をしているだけだと思っていた。まさか入院が続いているとは考えもしなかったし、だからこそここ最近だって気軽に飲みに誘っては恋バナを振ったりしていたのだ。

 

彼女と話した中で思ったこと。

今この部屋に2人の人間(1人の乳児もいるが)がいて、彼女は彼女の方がより不幸な出来事に見舞われたと思っている。

 

でも、それはそうとは言い切れないかもしれない。

 

彼女はものすごく大切なものを失った。

私は、ものすごく大切にしていたものが、大切にするようなものではなかったことがわかった。(うまく言えないのですが、大事な人にだまされたようなイメージです)

 

彼女が自分の方をより不幸と思うのは当然だ。

だって私は、決定的な不幸は伝えず、どこにでもあるような不幸だけを伝えたから。

 

でも、きっと長い人生を生きていくってそういうことなんじゃないかとも思うのだ。

 

前どこかで書いたかもしれないが、私にはものすごく大事な妹がいる。

彼女は、自分よりも幸せになってほしい唯一の人。

(すごく不思議なのだけど、生後4か月の息子に対してよりもそう思う)

 

だけど、すごく大事な人がいるということは、その人の痛みは自分のこと以上に痛いということ。

つまり、1人で生きている以上の痛みを味わうこともある。それくらいの破壊力が、大事なものにはある。

 

人生ってほんと過酷だと思う。

生きれば生きるほど大事なものは増えてしまい、手放したくなかったり、一生懸命大事にしていても壊れてしまったりする。自分の不注意の有無に関わらず失われることもある。

 

子どもが欲しくなかった理由の一つはそれだった。

自分にとって大事なものはこれ以上いらない、ということとともに、その大事なものが、これから先こんな過酷な遊びに参加することも、とても心穏やかではいられないと思っていたから。

 

今思うこと。

私は子供を産んでみてよかった。

それは、いなかったとしたら、夫婦生活をどう続けたらいいかわからなかったから。

(それくらい、様々な感情を育児は経験させてくれる)

 

だけど多分、産まなかったとしたら、これまでの生活で自分が大事だと思っていたものものを大事にしながら、できるだけ維持する生活をしていただろうと思う。

いいものを使って(化粧品や靴や洋服)、旅行に行って、ヨガをして、ジョギングをして、ちょっとだけデートするような。

おそらくタワーマンションに引っ越そうと言い出したに違いない。

 

春からは職場復帰だ。

これまでの職場に、私個人としては復帰前と変わらない状態で戻る。

だけど家に帰ればこれまでと全く違う生活を持っている。

 

持つものが多くなった今、外での生活はどんなふうに感じるだろう。

楽しみだ。