30代中盤。妊娠出産育児と新生活

妊娠、出産、育児とそれに関わる働き方について。備忘録的に。

4月から保育園へ。やっぱ保育園義務教育がいいって。

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先日もやもやする胸の内を書いたけれど、無事保育園に入園できる予定になった。

 

私の予想はいい意味で裏切られ、第一希望の園に入園することができそうだ。

それはとてもありがたい。

 

というのも、第一希望の園以外では、時短勤務に変更しなくてはならない可能性も出ていたから。

(毎日かならず定時ピッタリに出ることが出来て、電車遅延などのトラブルもなく、駅からまっすぐ保育園に元気な状態で歩ける、といった条件が全て整えば問題なさそうとかそんなレベルだった。駅でトイレにも行けない感じの。)

 

結果発表を受けてツイッターなどで見た限り、【フルタイムか時短か】というところは非常に重要なポイントであるらしい。

 

おそらく、妻だけ時短、などのケースはそれなりにいると思うので、そこでフルタイムを選択できたのが幸いしたのかもしれない。これは会社に感謝したい。

 

で、今思うこと。

保育園に入れるのはとてもうれしい、そしてありがたい。

 

私の周りには幼稚園に入れる予定のため、自宅で保育している人がいる。

だけど、個人的には断然早期に保育園に入れてしまった方が親が楽だと思う。

 

楽というのは、サボれるという意味ではない。(実際やってみたらそれもあるのかもしれないけど)

精神衛生上その方が楽だという意味だ。

 

というのも。

この数か月育休を取得してみて、家で子育てをしてみて、専業主婦生活をしてみて、改めて専業主婦の大変さを痛感したから。

 

専業主婦で、かつ心身ともに健康、というのはかなり難度の高いことだと思う。

それはDINKSの妻の比ではない。

 

例えば。

直接的に言われていようがいまいが、専業主婦生活をしていると、家のことを完璧にしていなければ、という強迫観念がある。

そこまでなくても、家のことを完璧にできていない自分は、だめな主婦だ、と思ってしまう。そんな何かがある。

 

育休中、私がやっていたこと。

・その日したことを旦那に報告する

・その日の予定を朝の段階で旦那に伝える

・予定を伝えられるように毎日何かしら予定のようなものを入れようとする

・見た目の変化がない日は、自らアピールする

・なるべく自分のためにお金を使わない

 

列挙してみて、あらためて思う。

なんて生産性が低いことをしていたのかと。

(専業主婦が生産性が低い、ということではなく、私が)

 

社会生活を営んでいるものの視点からすると、基本的にすべてどうでもいいことだ。

にも関わらず、やったことアピールや、予定を詰め込むことなどをなんでしてしまうか?

 

それは単に、自衛というか、承認欲求というか、とにかく自分が気持ち良く(あるいはなるべく不快でない)ためのものでしかない。

周りへの見られ方というか。

 

一言で言うと、わかってほしい、という気持ち。

 

でも、これってたぶん、時間があるからこその葛藤なんではないかと思う。

 

自分の脳内を埋め尽くしてしまうような没頭する仕事があれば、そんなどうでもいいことを考えている余裕はない。

 

なんでこんなことを書いているかというと。

過去何度も出てきている妹が、今まさに専業で家で子育てしているから。

で、夫婦喧嘩が絶えず、離婚を検討したりしているから。

 

彼女は嫁いだ家の希望により、天職だった仕事をやめて家庭に入っているのだけど、もとをただすと全ての問題はそこに帰結しているように思う。

 

で、この答えを自分で導き出し、状況改善のためのアクションを起こしていない妹にも問題があるということは理解した上で、それでも思うこと。

 

妻は旦那を支えるべきもの。

家は女が守り、自分のために贅沢はせず、倹約につとめること。という時代ではない、少なくとも今は。

これは世間の多くの人は理解していることだと思う。

 

でも、それでもそれを受け入れていない人たちはいる。

そうだとして、例えばそれを嫁や婿養子の立場で主張できる人がどれだけいるだろうか。

いや、おそらくいるだろう。いるだろうけど、まず多くはないだろう。

 

以前けんすうさんのツイートで、こんなものがあった。

これを読んだときに、私の思う素直な気持ちはこれだ!と感動した。

 

 

 

正直に言うと、自分も強者の立場でのみものを語っていた時代があった。

言い訳(のように聞こえること)する人に対して、完全に論破できる自分の立場からのみの意見を押し付けるのだ。

 

その論理展開は、突き詰めると、「貧しいのはあなたの努力不足だ」「結婚できないのはあなたに問題があるからだ」という論理になる。

これは危険なことだと、今ならわかる。

 

人生には、世界には、「そうはいっても」という余白があるのだ。

そしてその余白の部分にいる人たちが、最も救われなくてはならない人たちで、彼らは声を大にすることがなかったり、できなかったりして、孤独に苦しんでいることが多い。

 

話が脱線した上で、長くなってしまったけど…。

 

要は、【男も女も関係ない。働きたい人は働けばいいし、働いている人が偉いわけでもない。でも、自分で選択したからにはどちらであってもそれに責任を持とうよ。ただし、一度選択したからといって、それを一生変更できないことはないから。】ということ。

 

私は別に自分のことをフェミニストだとは思っていない。

男性も女性もない。ただただ、できるだけ多くの人が、自然な形でイキイキできたらいいのに、と思っているだけなんだけどな。