妊娠したら、おしまいなのか。という問い
性格が悪いタイトルだけど、まさに字のまま、本気でそう思っていた。
・妊娠すると第一線から外される、仕事でも女としても
・妊娠という幸せとトレードオフであることを知りつつ、あなたは妊娠を選んだんだから仕方ないよねという空気
・妊娠を選ぶということは、仕事に生きる人ではないんだよねという踏み絵のような
極端だと言われるかもしれないが、少なくとも自分が目にしてきた「普通の働くママ」は上記の環境を受け入れざるを得ないように見えた。
※ここで言う「普通の」とは、特別仕事好きでもない、だけど褒められるとうれしい、本当は活躍したいが、周りの反感を買ってまで目立ちたくない、というか自分がそうなれるとも思えなくなっている、という一般的な女性の仕事観を持つ人のこと。
いやいや、バリキャリママなんていくらでもいるでしょ?→はい。もちろん。
シッターさんをフル活用して、深夜残業もして、という環境で頑張ってキャリアに傷をつけずに活躍する女性もたくさんいる。
私のずっと憧れている女性もそうだった。
では、前半で登場した「普通の働くママ」と後半の彼女たちの違いはなんなのか?
というのを20代後半から考えていた。
そして出た一番簡単な答えは、出産時期・年齢だった。
①仕事人としての一定基準をクリアしておく、②その上で尋常ではない努力をする
一般会社員で考えた場合、多くの会社には階級制度のようなものがあると思う。
例えばこんな感じ。
A…非正規雇用
B…新卒、第二新卒、非正規雇用からの正社員登用の初回人事考課
C…正社員歴数年の若手
D…中堅(係長、チームリーダー)
E…それ以上管理職
私が見ている限り、A~Cの段階で出産によるキャリア中断を行った際には、最初に出てきた「普通の働くママ」になるケースが多いように見受けられた。
※それを否定するものではなく、そのパターンも一つの選択。ここでは、そうなりたくなかった自分がどう考えていたかの話。
そうなった時、例えば時短勤務などやサービス休日出勤できないことなどが足かせとなり、【使い勝手のいい頑張り屋さん】としての出世はなかなか難しくなる。
そしてその【使い勝手のいい頑張り屋さん】というのが、老若男女問わず日本の会社組織の中で、人から大きく嫌われることもなく、ステップを上がるための方策だったりする。
この武器が失われるのは大きな痛手である。
私の選択と、それに伴ったもの
上記の階層構造でいうと、C以前で妊娠の選択肢はありえなかった。
が、仕事というのは毎年毎年必ず何かイベントがあるもので、「このプロジェクトが終わったら」「転職したてだし、もう少し様子を見てから」と先延ばし先延ばしに。
気が付けば、高齢出産認定される35歳まであと数年だった。
で、何が起こったか。
・仕事ではDないしはその周辺にはいられた、と思う(勘違いでなければ)
・家族、親戚からのプレッシャーがつらく、お盆とGW、正月が苦痛だった
・共通の友人からも、無言の同情を感じた
特に家族親戚は辛く、というよりも、親戚に同情されている旦那さんの気持ちを察すると辛かったし、孫にデレデレする義父に対してはお門違いな苛立ちを感じてしまったこともあった。(実はその孫自身に対しても…最低)
いざ妊娠報告
この世の終わりと思って妊娠報告をした。
みんなおめでとうございますと言った。私は信じていなかった。
同僚の女性に『うらやましい~』と言われれば、【戦線離脱認定】と受け取った。
なんてひねくれていたんだろうと思う。でも、信じられなかったのだから仕方ない。
想像と違った、産休までの働き方
私は恵まれていた。
上司が理解のある(優しい?)人だったため、来月産休、今月末で最終出社、二週間後に最終出社、という最後の最後のタイミングまで、まるで来月もそこに居続ける人間かのように、仕事をさせてくれた。
もちろん、後ろ髪を引かれる部分は多いし、恐らく復帰できたらまた違う感情も沸いてくるのだろうと思う。
ただ、今言えることは、妊娠したら全てが終わり、ということは100%の真実ではない。(女性としてのくだりは横に置いておくとして)
まだ産休生活は始まったばかり。
うまく整理できていないが、とにかく20代後半から30代前半の自分に言いたいのは、試してみること。
別記事にて、そこを深堀りできたらと思っている。